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半田裕のスポーツマーケティング考
スポーツマーケティング考 第3話 【リベラルアーツとテクノロジーの交差点】
半田裕のスポーツマーケティング考

スポーツマーケティング考 第3話 【リベラルアーツとテクノロジーの交差点】

I Phoneをはじめ、なぜ革新的な製品をジョブスは生み出すことができたのか?それは彼の哲学にヒントが見出せるだろう。I Padの基調講演の最終スライドで、ジョブスはテクノロジーとリベラルアーツ通りの交差点を表す道路標識を見せながらこう話した。

「I Padのような製品をアップルが作れるのはテクノロジーとリベラルアーツの交差するところに位置しているからだ。この二つのベストな組み合わせが、きわめて先進的な製品を生み出すことにつながっている。それらの製品は直感的であり、使っていて楽しくなるものである。ユーザーにフィットしている。ユーザーは製品に自身を合わせる必要はない。製品のほうがユーザーに合わせるからである」

ジョブスの言う「テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立っている」とはどういう意味だろうか?ジョブスがデザインしたのはユーザーの感動体験全体である。そして、それを裏で支えるビジネスの仕組みの革新である。I PodはI Tunesがあって初めて、有効に機能する。

I Tunesは音楽業界の協力が条件である。その協力の中身は、音楽業界にとっては厳しいが、ユーザーには優しい。「買った製品の箱を開ける」時の体験もユーザーの感動にとって欠かせない。とジョブスは考えるから、箱の開発力に力を籠める。 そして、それは製品を買う店舗も同じだ。

最高の顧客体験から見てコントロールできていないものが一つある。とジョブスは考えていた、それが「店でアップルを買う」という体験である。巨大な小売りチェーン店では、アップル製品は他社製品の横に並べられる。販売員の製品知識も乏しく、しかも彼らは報奨金の多いウインドウズの製品を勧めるのだ。そこでジョブスはアップルの直営店を持つことを提案した。

このアイデアに取締役会は難色を示した。メーカーの直営店は失敗例が多く。デルは無店舗の直販で成功していたからだ。ジョブスは本社近くにプロトタイプ店を試作し、スタッフを集め念入りに検討を重ねていった。

最終的に店にはシンプルを極めた真っ白にきらめくカウンターがあり、製品が並べられた。正面には、ジョンとヨーコがベッドに座るThink Differentのポスターを投影。店の中央には、こだわりのシースルーの階段が設置され、他にもトイレのサインの色合いに至るまでほとんどジョブスが決めた。こうしてアップルストアは2001年5月に米ヴァージニアとカリフォルニアで2店舗が開店を迎えた。

最初、メディアの評価は散々だった。小売りの専門家たちも「2年もすれば店の明かりは消え、膨大な損失と痛みで大いに後悔するだろう」と囃した。ところが店が次々とオープンするたびに大行列ができる。2003年に開店した東京銀座店にも5000人の行列ができ、アップルが新製品を発表すると、それを待ち望んだ人々が徹夜で並んだ。 やがてストアの単位面積当たりの平均売り上げはどの高級ブランドショップも上回り、小売店の大成功例となった。スコット・ギャロウェイは、アップル成功の決め手がI Phoneではなく アップルストアだと指摘する。「テック企業を高級ブランドに変えた」と。

ジョブスの使ったリベラルアーツという言葉は、元々古代ギリシャ・ローマの「自由人の科目(アルテス・リベラレス=文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)」がルーツである。「自由人が生きるための学問」「人間を自由にする技」がリベラルアーツであり、その反対語は「奴隷の科目(アルテス・セルヴィレス=実利的、職業的技術・専門性)」である。

つまり、ジョブスは「奴隷の科目」いわゆる実利的な技術や専門性を自分の思うままに束ね、ねじ伏せ、「自由人の科目」の見識で消費者を自由な世界へと誘ったのだ。彼の言葉から見れば、さしずめ日本企業は「奴隷の科目」に長けた人々だ。ジョブスのような自由人に使われる技術屋・専門家。。。

現代は「第3の波=情報革命」と言う革命期にある。革命期には規制の古い体制を崩し、新しいイデオロギーの下で、新しいテクノロジーを使って社会や 変革をもたらすものが現れるヒトが現れる。これからの時代に求められるヒトはまさにそういうテクノロジーとリベラルアーツの交差点に立っている人間だと思う。

参照元: なぜ日本からGAFAは生れないのか 光文社新書

リベラルアーツとテクノロジーの交差点