トップ
半田裕のスポーツマーケティング考
スポーツマーケティング考 第23話 【イタリアサッカー界の至宝 ロベルト・バッジョ】
半田裕のスポーツマーケティング考

スポーツマーケティング考 第23話 【イタリアサッカー界の至宝 ロベルト・バッジョ】

イタリアのサッカーレジェンドの【ロベルト・バッジョ】です。

アルバルト・トンバに引き続きイタリアン・アスリートです。

このころ担当していたアラン・プロストもF-1のフェラーリに所属していて、なんとなくイタリアンな時期でしたね。

1994年のアメリカのワールドカップが終わったあたりから、アメリカに本社であるIMGでもサッカービジネスが話題になってきた。サッカーの本場のヨーロッパにも数多くの支社があるのでの一斉に色んな契約の交渉にいったようだ。

実際、その後の話だけれど2002年の日韓WCの放映権にIMGは1500億円のビットをしかけている。結構本気で頑張っていた。

余談だけれども、その頃IMGヨーロッパの責任者だったイアン・トッドというイギリス人はその後ナイキグローバルのスポーツマーケティングの責任者になっている。結局また一緒に働く事になるわけでございます。

そんな流れのなかで選手関連の契約も頑張っていた、まさに1994年のWCで決勝戦をブラジルと戦ったイタリア代表のロベルト・バッジョもその一人だ。

彼はWC94の決勝戦までイタリア代表を導いた原動力であることは間違いなく、そして決勝戦のPKゴールを外し、ピッチの上で腰に手をあててうなだれるバッジョの後姿が撮影された写真で全世界の人々の脳裏に決定的な印象を与えたのが彼、ロベルト・バッジョだった。

目出度くIMGクライアントになった彼の契約を取るべく日本のスポンサー探しを始める事になった。そんなタイミングでの営業活動だったので結構私的にはちからが入った。

たまたまD社のサッカー事業局のU氏が興味を示してくれた。その時ここから彼との長い旅が始まるとは夢にも思わなかった。

営業先は飲料メーカーで新しいスポーツドリンクのCMキャラクターを探していた。

サッカーはJリーグも開幕した直後で、ワールドカップを通じてバッジョの名前も良く知られていたので話はトントン拍子に進んでいき、仮契約も済ませた段階で一度イタリアまで出かけて選手とスポンサーを直接合わせる話になった。

行先はミラノ。この時も結構おもしろかったのは、バッジョと会うその日の朝まで何時にどこで彼と会うのか彼の個人マネージャーは中々教えてくれなかったので結構ヤキモキしたのを今でも覚えている。

有名人やその家族の誘拐がイタリアでは日常茶飯事にあるので警戒しているんだと言われながら、ようやく連絡が入って、どこそこインターの出口に何時に来てくれといわれてハイヤーに乗ってそこに行くと、BMWのセダンの横にタバコを吸って待っているバッジョの個人マネージャーがいて、まるで映画かなんかに出てくるマフィアとの会合みたいな感じがした。

そこからBMWの後ろについて走っていくと、片田舎の村に車は入っていった。

そこの小さなレストランにバッジョとその家族がみんなで集っていて、そんな家族的な雰囲気の中で一緒に食事をさせてもらった。奥さんと子供、そしてバッジョのお父さんとお母さんも一緒だったと記憶している。食事の終わりには日本のスポンサーの方からお土産の像の青い置物を渡しておられた事をとてもよく覚えている。イタリアでは像は幸運のしるしだとか言ってバッジョが凄く喜んでいた、彼はとても寡黙なこれがあのピッチ場のファンタジスタかと思ったのをとても良く覚えている。

そんな感じでイタリアでの彼との会合はとてもスムーズに終わり、スポンサーもD社もハッピーな進捗だった。いよいよ4月1日の新商品の発売日も迫ってきた3月上旬にいきなりIMGミラノ支店から連絡が入ってきた。

「あの契約はなかった事にしてくれと、バッジョが言ってきている」という連絡だった。

そんなバカな事はないだろう!全てここまでスムーズに進んでいた作業になんの落ち度もないはずだった。

D社のU氏ととにかくイタリアに行こうと言う事になり、すぐ次の日に飛行機に飛び乗った。

なんと言っても新商品はもう倉庫にあり、TVの枠も買い付け終了、あとは現地で撮影する動画とスティールのクリエイティブをはめ込むところまでの作業は全て終わっていたタイミングでの出来事だったのです。

現地に入って分かった事はバッジョの個人マネージャーとIMGミラノ支店の責任者の積年の確執が今回ここにきて爆発したトバッチリを我々が受けている事が分かった。

そこでミラノのモンテナポレオーネ通りにある、いかにも高そうな弁護士事務所と相談しIMGをふっ飛ばしてD社との直接契約ならOKかと言う交渉をバッジョサイドとしたところ、そうであれば良いと言う返事をもらった。

先程の高価な弁護士に契約書をまきなおしてもらい無事その契約書にサインをもらえた。その後D社の制作クルーもミラノ入りし無事撮影を済ませ4月1日に商品の発売はギリギリできたというお話です。

渋谷のハチ公の前に大きなバッジョの屋外広告が出た時にはホットしたのを覚えている。

この間、約3週間ミラノに滞在し、D社のU氏はその間一度東京へ別件の仕事で帰って、またミラノに戻って来ると言う離れワザまでして頂いた。

最終的にはIMGとしての仕事にはできなかったけれど数あるトップアスリートとの仕事の中で彼ほど強烈な印象を私に与えてくれたアスリートはいないね。

もちろん彼自身は素晴らしい人物で、それを取り巻く人々の問題と言う事は分かってはいるけれど、しかしあのミラノでの3週間は凄かった。